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頑張ります
20080820164423
復活します!
すみません。まだ思い出せば辛いですが、ずっと沈んでたっておじいちゃんは嬉しくないと思うから…。

ここ数日は缶詰で原稿描いていました。
24日の漫画セミナーには間に合いそうです!(≧_≦)残り1ページです!
やれば出来る!(笑)

終わったら買い出しに行きます。
電気が止められてたせいで冷蔵庫の中身が全てオジャンに…(;_;)
夏だから異臭激しくて、帰って来たら真っ暗だしお風呂入れないし、食べる物無いし、本当に意気消沈しましたよ。
愛知に帰ってすぐに止まったらしく、本当に間の悪さだけは天下一品…(苦笑)
なくなく食材を捨て空っぽにしました。
あぁ…半額で買ったお肉とか保存食品もみんな無駄に。
しかも、仕事を入れずに漫画の缶詰の為に、3~4日分くらいの食材を買いこんであったんです。
↑コレがかなりの痛手。

電気止まるのは初めてだったけどガスよりタチ悪い!特に夏(笑)

でもめげないぞー。

ガスや電話代は無理でも電気代だけは優先しよう……と学んだのでした(*。。)
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綺麗な月に守られて、今もどこかに②
そして家族でお見舞いに。この時は薬が効いてだいぶ楽になっていたようで元気そうでした。
入院前は腹水がたまって苦しく、話も出来ない状態だったそうです。

「早く元気になってね」

お見舞いに行った日、それが私の最後に見るおじいちゃんの元気な姿でした。

オリンピックを家に帰って見るんだって、おかゆが食べられるようになったら帰らせてもらえるんだって、おじいちゃん頑張ってた・・・・。

関東に帰ってからも何度か電話をしていましたが思わしくない様子でした。
オリンピック開幕の日も、気になって家に電話をしました。

「おじいちゃんオリンピック見てる?家に帰れた?」

「おじいちゃん、もう自分で立てなくなっちゃった」

母からの言葉で涙が出ました。まだ亡くなって無いけれど、あの元気だったおじいちゃんからは
想像もつかない言葉だったから。



そして 13日の午後母からの電話でした。
「おじいちゃん、個室に移ったよ」

その10分後再び母から
「おじいちゃん、今亡くなったって」


余りに突然の訃報で一気に涙があふれました。
ただただ悲しくてなんにも出来ない自分が悔しくて・・・・

でも唯一救いだったのは おじいちゃんが苦しまずに逝けたこと。
13日当日には苦しくてお医者に「もう殺してくれ」とまで言っていたおじいちゃん。
薬が効いて眠っている間に・・・でした。

本当に眠るように亡くなったそうです。


私は連絡を貰ってすぐに帰らなきゃいけないのに、まともに準備が出来たのはもう夜近くでした。

新幹線に乗って、電車とバスを乗り継いでようやく家に着いたとき、実家を離れていた兄も帰って来ていました。

父はもう何日もほとんど寝ないで病院や家やおじいちゃんちを掛けまわっていて、
式の手続きやらでこの日も深夜を回って帰ってきました。

無くなったのが遅かったので通夜は14日、告別式が15日に決まりました。
14日、式場に向かう前、おじいちゃんの顔を見ました。
眠っているかのようなほんとうに安らかな顔でした。おきるんじゃないかって・・・・思えました。

お迎えを待つ間、父は疲れきった顔で呆然としていました。
あんなに沈んだ父を見るのは初めてで、胸が痛みました。
涙を見せない人だからこそ・・・・きっともっと辛いんだと思います。

式場についたら、開式4時間前にも関わらずすでに親族が集まって来ていて多くの方に挨拶しました。
何もせずに座っては居られず、親族にお茶だしをしていました。誰かに言われたのでも無く自然とそうしていました。そのおかげで何かしら気が紛れていたんだと思います。

通夜式と告別式にはこれでもかというくらい大勢の方が集まり、お盆にも関わらず遠方から沢山の方が駆けつけてくださいました。
通夜式の後は親族も大勢泊まっておじいちゃんと寝ました。

告別式、お経の際にすでに泣きそうだったのですが最後の対面、そしてお花を添えるとき、絶えられずに泣いてしまいました。
お葬式終わるまでは泣かないと決めていたんです。

おじいちゃんを送り出すのに、涙のお葬式は嫌だって思ったから・・・・。
でも駄目でした。

もう辛くて辛くて・・・火葬場へのバスの中でも止まりませんでした。




実家を離れてからも度々祖父母に会いに行きましたが、「よう来たね」といつも笑顔で出迎えてくれる人でした。

私は若い頃のおばあちゃんによく似ているから好きなんだと、孫の中で私が一番好きなんだって
言ってくれていました。
おじいちゃんがくれた石と台座を机に飾ったり、持ち歩いたり、常にそばに居たような存在でした。

おじいちゃんの家に行くといつもかき卵汁を作ってくれて、それが小さい頃から大のお気に入りでした。もともと料理上手なおじいちゃんだったけれど、他のどんな料理よりもそれが大好きでした。
もうあの美味しいかき卵は食べられないんだと思うと、あの優しいお顔も見られない、声や聞けない、そう思うと本当に涙が止まりません。

ほんとうに優しくて素敵なおじいちゃんでした。

亡くなった13日、駅のホームでは綺麗な月が見えました。
実家に着いて見た月も綺麗だった。
14日だけは通夜の直前通り雨が降り、15日のお葬式はこれ以上ないほどの晴天だった。

もうおじいちゃんは泣いていないね。



大好きなおじいちゃんへ


末期癌だったのに入院を頑なに拒んでたね。
入院中おばあちゃんにたくさん怒ったりあたったっりしていたけれど、
きっと心の中で感謝してたんだよね。口下手なお父さんみてたら分かる。

本当はおばあちゃんが大好きで家が大好きで優しくって

ちゃんとみんな知ってたよ。

集まった人たちを見てたらおじいちゃんの人柄が本当によくわかるよ。

私もおじいちゃんの孫として、ちゃんとしたい。
これからも見守っていてね。

今もそばにいるんだって思えるから、頑張れるよ。


どうかゆっくりやすんでね。

本当にいままでありがとう。お世話になりました。
一番良い天国に行けるように毎日祈るからね。

おばあちゃんの家に目印があるから迷子になっちゃ駄目だよ。
迷わずに家に帰って来てね。

たまには私や兄のところにも遊びに来てね。おじいちゃん。
綺麗な月に守られて、今もどこかに①
お久しぶりになってしまい申し訳ありません。

余りに突然のことで、どうしたら良いのか、何にも知らない自分に驚き、悔しく思いました。
それでも出来ることはやれたと・・・・・

おじいちゃんの為に、孫としてやれるだけのことは出来たのではないかと

そう思います。


8月13日 祖父が逝去致しました


ここに私の思いを刻ませてください。何かの形で整理しないと、後悔しそうなのです。
自己満足ですが、何年経っても今の気持ちを忘れたくないから書きます。

祖父は7年以上前から肝臓癌を患っていました。
数年前にはあと余命3年だと言われ、それでもずっとずっと元気なおじいちゃんでした。

余命を言われてから5年も元気でした。
趣味の石拾いや石の台作り、庭の手入れ、野球のテレビ観戦・・・・。

ところが先月辺りから体調が悪く、食欲も細っていたようです。
そして今月頭に検査入院。

実はこのとき、私は偶然帰省していました。
祖父の入院を聞いたのは実家に着く直前、駅に迎えに来た父から車中で初めて聞きました。

帰省した日が入院した日。この符合はきっと偶然じゃなかったんだと思います。


<②に続いています。>
母へのプレゼント
20080810210714
仕事帰りにとある輸入雑貨品のお店を見ていたら可愛いぶたちゃんのぬいぐるみを発見!

母へのプレゼント様に買っちゃいました^^
(写メはラッピングの上からでごめんなさい(≧_≦))
お金無いのに何やってるんだか(笑)
余りに可愛くって(;_;)あのまま帰れなかったんです。
ぶたちゃんのぬいぐるみ握り締めて30分くらい店内ウロウロしてました。ハイ、すみません。
めちゃめちゃ店員さんに見られてたのはこの私です(笑)

母がぶたのぬいぐるみが大好きなんですよ。それで、可愛いのを見付けるといつも買っちゃうんです。で、帰省の時に持って帰るんですが…。
今回のは余りに可愛くてすっぽり入るカゴとミニ花束をプラスしてプレゼント様にラッピングして貰いました。
普段から色々心配かけているから、これくらいのお返しなんて少なすぎるかもしれないけど…。

気に入って貰えると良いな(^^*)

自分のものを買ったわけじゃないのに、それ以上に幸せな気分です♪

早く渡したい!(笑)

おすすめ品
20080808192630
フフフフフフ(笑)

ラーメン・イケメン・ボク・つけめ~ん

店主、ナイス!(・∀・)

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